九鬼家のルーツ

皆さんは九鬼産業の「九鬼」を歴史の本で見たことはありませんか?

「九鬼」の名が歴史の大舞台に登場するのは、「九鬼嘉隆」という人物がいたからです。熊野の各水軍を一つにまとめ、戦国時代に活躍しました。これが歴史に出てくる九鬼水軍です。

時代は天正6年(西暦1579年)、世界史上初めての鉄張りの巨船7艘で当時最強の毛利水軍600隻を撃破しました。その後、秀吉の時代には三重の鳥羽に城を構え、嘉隆の栄華は頂点になりました。しかし、関ヶ原の合戦では一族の存続のために親子で二手にわかれ、嘉隆は西方の石田三成側につきます。そして戦で敗軍となった嘉隆は、鳥羽の答志島で58歳の生涯をとじました。

一方、嘉隆とともに西方についた守隆の末の弟は、関ヶ原の合戦で敗軍として逃れ四日市の地にたどり着きます。その後四日市で住いを構え、水軍としての能力を活かして兵庫県・赤穂の塩を東京に販売するなど回船商売を始め、江戸時代には武士を捨て商人となりました。これが四日市・九鬼家の始まりです。その後、九鬼家は、四日市に菜種畑が広がり水が綺麗なところに目を付け、製油業を始めました。明治十九年、八代・九鬼紋七氏が「油を搾るなら最高の油をより良い技術で」ということから、日本で初めて連続式圧搾法により胡麻油の製造を始め、今日の九鬼産業に至っています。九鬼の胡麻油へのこだわりはこのときに生まれたのです。

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