九鬼の山林の歴史について

九鬼の山林の歴史について

東海地方で有数の資産家として知名度が高かった九鬼家は、漁業で生計を立てている錦町で不漁が続き、厳しい財政事情にあった錦町役場の要請を受け、明治36年に錦町の山林を購入します。
これが、九鬼家が山林を所有するはじまりです。

その後、飛騨、美濃の山林も購入し、山林経営を始めました。
実際の運営は、九鬼山林部がおこない、錦出張所、飛騨出張所、美濃出張所と3ヶ所出張所が設けられ、主な業務として、材木(ヒノキ・スギ)の伐採、伐採跡地への植林、樹木の成長に必要な下草刈、除伐、枝打ち、間伐をおこなっていました。

当時、材木は商品価値が高く、伊勢湾台風による工場の損壊、第1次・第2次オイルショックによる原油高の影響と、油事業が打撃を受けた際には、材木を売り、油事業を支えました。
昭和43年に九鬼山林部、四日市製油場、四日市製陶場の事業を統合し、九鬼産業株式会社となり、九鬼産業株式会社 林業部が、九鬼家の森林管理を委託され、管理をおこなうことになりました。

材木の輸入自由化に伴い、昭和60年ごろに国内の材木価格も下落してからは、皆伐を中止し、森林の維持管理が主業務となりました。
平成に入る頃から、新たな試みとして、胡麻の製造工程で出る表皮や搾り粕を利用して、肥料を作る取り組みがはじまります。
紀州林業場に、肥料プラントを立ち上げ、肥料の製造が始まり、こちらが主業務となってきます。

また、同じ時期から自社での試験的な金ごま栽培も始まりました。
肥料を利用して、胡麻だけでなく野菜栽培がはじまったのです。現在では、山林管理を行いつつ肥料製造やごま栽培・野菜栽培を行っています。

九鬼の山林を守る心

九鬼の山林の歴史について

九鬼の山林の沿革について

山林の四方山話